CASE4

高い技術力から創出される新たな感性価値

株式会社スピングルカンパニー

ひろしま感性イノベーション推進協議会は、感性に訴えるものづくりの実現のため2014年に設立、人間のもつ「感性」という新たな価値軸を活用した製品の差別化による高収益構造の実現に向け、感性工学や人間工学を取り入れたものづくりを推進することを目的とし、普及啓発、人材育成、専門家派遣、企業支援などを行っている。

ここでは、同協議会発行の『感性イノベーション成功事例集』で紹介される4社の成功事例より、高い技術力がベースとなり、新たな感性価値創出に成功した、株式会社スピングルカンパニー(以下、スピングルカンパニー)のケースを、ひろしま感性イノベーション推進協議会 研究実装プロデューサーである一般社団法人感性実装センターの目線で読み解く。※ “ ” は『感性イノベーション成功事例集』からの引用


プロローグ- 世界に誇る技術

出所:ひろしま感性イノベーション推進協議会[2017]『感性イノベーション成功事例集』pp.14-15.

“新しいことを始めなくても工場の中に宝物があるんじゃないか”

この言葉を後押しに、レザースニーカー「SPINGLE MOVE」初代モデルが誕生したのは2002年のことである。製造するのは、創業90年を迎える株式会社ニチマン(以下、ニチマン)が立ち上げた、スピングルカンパニーだ。

 

製靴底用ゴム板の製造からスタートしたニチマンは、1970〜1980年代のバブル期にヒット商品(ファッションスニーカー)を世に送り出した。しかしバブル崩壊後の1990年代、多分に漏れず厳しい状況に陥っている。この時代、多くの企業が苦境に立たされていたことは言うまでもないが、競合他社が “次々と事業転換” し再起を図る中、ニチマンは “工場を残す” 方針をとっている。

創業以来長きにわたり蓄積してきた世界に誇れる技術をベースに、新たな可能性を探る。そのために創設されたのがスピングルカンパニーであった。当時について、同社代表取締役社長 内田氏は、“(他社と同様に工場を閉鎖し)ゼロにすることはたやすいが取り戻すことはできない” と語っている。


ブランドの顔となる定番商品の開発

スピングルカンパニー立ち上げ時、4名の女性が選抜されイノベーションチームが発足。チームに課せられた使命は、“ブランドの顔となる定番商品をつくること” であった。

 

同社公式サイトによると、「SPINGLE MOVE」の個性的な巻き上げソールの原型となったのは、工場に保管されていた40年以上前の体育館シューズのゴム底だったとされる。「SPINGLE MOVE」最大の特徴ともいえるこのソールは、同社の誇る「バルカナイズ製法」により生み出された。

「バルカナイズ製法」とは、“硫黄を加えた釜で熱と圧力をかけ、ゴム底と靴本体を圧着する” 製法である。この製法で作られたスニーカーは、しなやかで柔らかいソールでありながら、型崩れしにくく美しいシルエットを保つことができる、というメリットがある。優れた製法である一方、多くの工程で職人の手作業を要するため、国内でこの製法を用いスニーカーを製造できるのは、スピングルカンパニーを含め数社のみという貴重な技術だ。

海外メーカーの軽量なスニーカーがトレンドの時代で、ゴム底のスニーカーは“重い”との意見もある中、イノベーションチームは同社が最も得意とするこの製法を生かした開発を試みる。

 

「SPINGLE MOVE」初代モデルは、スピングルカンパニー立ち上げから実に5年の歳月を要して開発された。しかし、“試行錯誤の末” 誕生した初代モデルは、その新規性のあるデザインと、低価格の商品が多く流通していた当時としては高価な価格設定だったこともあり、すぐに反響を呼んだわけではなかった。それでも同社は、“広告を打つこともなく、安売りもしない” という信念を貫き、サンプルを持って全国を飛び回り、品質の良さを販売店に直接伝えることで販路を開拓していった。

 

その結果「SPINGLE MOVE」は、世界的ブランドからも注目を集め、コレクション(パリ、ミラノ)に進出を果たす。同社の高い技術をベースにした斬新なデザインが、世界中の人々の感性を刺激、徐々にユーザーを増やしていった。現在では、様々なファッションブランドや企業とのコラボレーションモデルも発表。取扱店舗は全国に広がり、海外にも直営店を展開するまでに成長を遂げている。

感性工学の活用が生み出すこだわりの履き心地

出所:ひろしま感性イノベーション推進協議会[2017]『感性イノベーション成功事例集』pp.16-17.

先述のように「SPINGLE MOVE」は、ひと目見ただけでそれとわかる個性的な巻き上げソールが特徴だ。ニチマン時代から培ってきた高い技術力を生かしたデザインであることもさることながら、「履き心地」という感性的な要素(触覚)にも徹底的にこだわり開発されている。

 

「SPINGLE MOVE」のインソールに使用される天然のラテックスラバーは、開発当時はまだ靴のインソールにはあまり使われていない素材だった。しかし、化粧品のパフにも使われる素材であり、柔らかく、復元力も高く、インソールに最適な素材としてのポテンシャルを秘めていた。一方で、不安定で粘りのある素材でもあり、歩いている最中に靴内でインソールがずれてしまうという課題があった。

開発当初より蓄積してきたユーザーの声から、インソールの重要性は明白であり、これらの課題をクリアすることが「SPINGLE MOVE」における感性価値(履き心地・靴の快適性)の創出には不可欠であった。

 


そこで履き心地・靴の快適性の検証のため、人の立位(姿勢)、歩行時の足圧分布、および歩行後の温度分布の計測などを行い、感性要素を数値化、その解析結果を活用しながら改良を重ねた。“細やかな工夫や改良が施せるのは、自社内に工場を持つ強み” であり、同社のクラフトマンシップのなせる技だ。こうして、“足を包み込むような柔らかな履き心地” という、人とスニーカーの心地よい関係を結ぶ新たな価値が創出された。

エピローグ - 感性価値の融合

同社は、「SPINGLE MOVE」初代モデル開発後の商品展開に、“新しいものを次々と出すのではなく、素材や色を変えてバリエーションを増やしていく” という戦略をとっている。この戦略は、感性価値に着目することで魅力ある商品を市場に出し続けることができる、中小企業にとって参考となるビジネスモデルの一つである。

 

スピングルカンパニーは、経営の転換期に自社の “宝物”、すなわちニチマン時代から培ってきた技術に改めて目を向け、新たな可能性や事業の方向性を見出した。「バルカナイズ製法」は、ともすると “古い” と称される技術だが、同社はそれを逆手にとりイノベーションの原動力にしている。そして、デザインと履き心地、双方の感性価値が融合し誕生した「SPINGLE MOVE」の成功は、同社が長年培ってきた高い技術力の証明にもなった。

成熟した技術をベースにしながらも、履き心地を追求するためスニーカーに対する人の感性に着目し、どのような感性要素が履き心地に影響するのか向き合った結果、製品全体の価値の底上げにつながった。同社の成功プロセスは、感性工学を活用したものづくりには必ずしも新たなリソースの確保を必要としないことを示唆している。

 

2023年7月

Contact

お問合せは、以下にてお受付しています。